269 エディー・ジョーンズに愛された男 - 宮本 啓希


1. 来歴


1986年奈良県生まれの35歳。

ポジションはCTB/FB。

2005年、天理高校卒業後、同志社大学に入る。なお天理高校時代、高校日本代表に選ばれ、第28回全国高校東西対抗試合の参加メンバーに選出された。

2009年、同志社大学卒業後、サントリーサンゴリアスに加入。同年10月9日に行われたトップリーグ第5節のHonda HEAT戦に途中出場で公式戦初出場を果たす。

2018年、現役を引退後、サントリーに副務兼採用として加入。その後、主務兼採用として、数々の優秀な選手を発掘。

2022年1月31日付けでサントリーを勇退、2月1日からは同志社大学ラグビー部の監督に就任。


2. エディーさんに愛された男


宮本さんはサントリーで9年プレーし、サントリーキャップ数は59。プレーで、そして最も長く選手会長を務めてチームを支えた宮本さんは、2017-2018シーズンを最後にプレーヤーとしての人生を終えました。

自分が宮本さんのプレーでよく覚えているのが、2014-15シーズン第6節、台風の接近で風が強かった花園ラグビー場での近鉄戦。10-10でハーフタイムを迎えた後半、近鉄がPGを決め13-10とこの試合初めて逆転すると、サントリーは10分、ゴール前から展開し左CTBの宮本さんが再逆転のトライを挙げました。そして30分、SH日和佐が近鉄ディフェンスの裏を抜けポスト左にトライすると、その後のGKをSOトゥシ・ピシが交代した関係で、宮本さんが蹴り、決めてくれて、23-31と差を拡げてくれました。結局試合は30-31でサントリーが勝利しましたが、終盤までもつれにもつれたので、この試合はよく憶えています。

先程、自分のビデオライブラリーから当時の試合を引っ張り出して、1試合まるまる観てしまいました(苦笑)。宮本さん、めちゃめちゃ若かったです(笑)。当時のサントリーのメンバーも畠山、篠塚、真壁、佐々木隆道、竹本、ニコラスライアン(敬称略)などなど懐かしい人ばかりでした。ちなみにこの試合のMOMは当時はまだHOだった!!小澤直輝でした。

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2018-19シーズンからは副務を務め、採用担当者としてサントリーを支えてくれました。オフフィールドでチームに求められていると知ったのは前年の夏のことらしいです。

「夏合宿でした。新しいシーズンはスタッフへ、という打診でした。もともと現役を終えたら仕事を頑張りたい気持ちがあったので迷いました。すぐには返事をできませんでした」

 揺れる気持ちが固まったのは、田原耕太郎チームディレクター(現コーチングコーディネーター兼アシスタントコーチ)や野村直矢主務と話す中に響く言葉があったからだそうです。

「『営業はナンバーワンセールスマンと呼ばれる人がたくさんいる。でもサントリーをマネージメントしていく立場になれる人は、お前一人だけ』という言葉に「そうだな」と思いました。『その中で自分の色を作れば良い』と言われたことです。」

周囲に求められる理由は、宮本さんのチームマンとしての意識だと思います。天理中、天理高、同志社大と、いつもバイスキャプテンでしたので、監督からの怒られ役を一手に引き受けていたとのことです。

高校日本代表やU19日本代表など、その経歴が示すように、学生時代はエース的存在。そのプレースタイルをサントリーに入って変えたのは、入社2年目にエディー・ジョーンズ体制になったのがきっかけとのことです。

「大学まで、試合中はいつも『かせ、かせ』と言ってボールをほしがる選手でした。でもサントリーには、自分で持っていける人が他にたくさんいた。そんな中でエディーかやって来た。考えやプレーが変わらないと1、2年で辞めなアカンな、と思ったんです」

過去に固執せず、モデルチェンジを図ったのが奏功しました。エディーさんはピッチ上でのコミュニケーションなど細部にこだわる指導者で、そういうところに自ら気づく選手を好みましたので、そこに勝機があったのでしょう。

「もともと試合中もよく喋るタイプでした。その内容をもっと具体的に、意味のあるものにしました。力のあるプレーヤーとプレーヤーをつなぐ存在になろうと」

サントリーでは選手会長を長年務めました。オフフィールドでのまとめ役。納会などチームのイベントのたびに宮本さんを司会に指名したのもエディーさんでした。ラグビースクール訪問時にはチームの顔になり、子どもたちからの人気も絶大でした。

エディーさん就任の年、途中出場ながら日本選手権決勝のラストシーンをピッチ上で迎え、歓喜の輪に加わりました。人生で初めての日本一。サントリーでの9年間、59キャップの中で、もっとも記憶に残る試合とのことです。

またサントリーでは一流の指導者たちが宮本さんを豊かにしてくれたそうです。

「沢木さん(敬介/監督)の考えも刺激的でした。変わっていかないと衰退しかない、毎日ちょっとずつでもいいから成長しよう、と」

それぞれの指導者の哲学がいつも宮本さんに刺さりました。

「常に変わろう、チームを成長させようと考えるなら、いま自分は何をしないといけないかクリアになる。それ、仕事でも一緒なんですよね」

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宮本さんはBKでは珍しく両耳がギョーザになっています。苦手だったタックルを克服するため、大学1年の時に集中して練習をしたからとのことです。

努力と情熱と人心掌握に優れた宮本さんの採用のお陰で、ここ数年のサントリーの新人選手の活躍には目を見張るものがありますよね。
祝原(PR)、中野幹(PR)、辻(LO)、下川(FL/No.8)、齋藤(SH)、仁熊(WTB)、中野将伍(CTB)など。

宮本さんは本日2月1日から同志社大学ラグビー部に就任されます。同じタイミングで元キヤノンの橋野皓介さんがBK統括コーチに就任されるとのこと。お二人とも同志社OBなので、昨シーズン4位に終わった同志社をまた復活させてください。
今後のご活躍を願っています。
長い間、お疲れ様でした。ありがとうございました。



Lennyの#ラグビー豆知識

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