171 ブルームフォンテーンの惨劇


1995W杯、日本 v オールブラックス。

キックオフから90秒でトライを奪われた。
日本は敵陣に入ろうとキックをしてはカウンター攻撃を受け、トライを重ねられた。前半15分で0-35。
タックルは空を切る。オールブラックスは容赦しない。前半終了で3-84。
後半10分に10-103となると、スタンドでは「100点ウエーブ」が始まる。
スタンドから中身が残っている缶ビール、紙コップが飛ぶ。「金返せ」の意味だ。
観客が去り始め、「もう時間の無駄」とばかりにロスタイムもなかった。
相手は既に1次リーグ突破を決め、エースWTBロムーら主軸不在。
だが「2軍」だったからこそ、次の出場機会を求めてアピールし続けた。

最も印象的だったのはワールドカップでのスタッフを含むチーム内の温度差だった。
厳しく管理される近年と違い、グラウンドを離れれば「自己管理」の時代。
南アでは練習が終われば、事実上の自由時間だ。
買い物も、部屋飲みも、ゴルフもあり。気晴らしにカジノに出向く者もいた。
もちろん黙々とストイックに戦いに備える者もいた。
違和感の中、チーム内の摩擦を避けるため、目をつぶる者もいた。

南アで始まったことではなかった。国内合宿でも「自己管理」だった。
当時のラグビー界はアマチュアだ。
都内合宿の練習場に筋トレ設備はなく、所属チームの施設に頼るしかない。
昼食は用意されず、サラリーマンに交じって牛丼、ラーメン、定食で腹を満たす。
栄養学とは無縁だった。

一方でニュージーランドなど強豪国は、その後のオープン化(プロ容認)を見込んで「セミプロ化」しており、伝統の上にすべてで緻密な準備をしていた。

17-145。

この歴史的大敗を機に日本のラグビー人気は下降線をたどる。
国民的注目を取り戻すのに20年もの歳月を要することになった。



Lennyの#ラグビー豆知識

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