124 慶應日本一の裏話


1986年1月、ラグビー日本選手権が行われた国立競技場。
慶応のロッカールームの雰囲気はただ事ではなかった。

部歌斉唱で目を血走らせる選手を前に上田昭夫監督は、大学選手権の優勝の賞状をかざし、
「俺たちが欲しいのは、きょうの日本一の賞状だけだ。これはもう要らない。」
と言いながら、両手で二つに引きちぎった。

次いで自身のブレザーの、慶応のエンブレムが刺繍してある胸ポケットに手をかけベリベリと引きはがして机に置き
「母校に恥じないプレーをする者だけがこの紋章に手をやり、全力を出し切ると誓え。」
と叫んだ。

「ウオーッ」とピッチに飛び出して行ったフィフティーンは、社会人代表のトヨタ自動車を18対13で破った。以後今日まで、大学チームが社会人に勝って日本一になったのは、2年後、早稲田が1度あるだけのとてつもない快挙だった。



後日、上田監督がごく親しい記者に明かした裏話がすごい。

試合前日、胸ポケットの縫い糸をほどき、はがれやすいように荒く縫い直したという。
さらに賞状の引き裂きは
「あんな大切なもん破くわけないよ。文房具店で賞状用紙と筆ペンを買い偽物を作ったのさ。」

その上田氏は、2015年に難病のアミロイドーシスのため死去。享年62歳。



Lennyの#ラグビー豆知識

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