小さな巨人 - 津久井 萌


2026年9月30日

2026年9月27日、アイルランドのゴールウェイ。サクラフィフティーンのキャプテンとしてピッチに立った津久井は、ついに代表50キャップへ到達した。歴代最多となる51キャップを持つ齊藤聖奈に、あと一つまで迫った。しかも、この日のサクラフィフティーンはアイルランドに 31 - 24 で敗れたものの、19点のビハインドから猛追し、最後まで相手を苦しめた。その戦いの中心に、50キャップ目の9番がいた。

津久井の初キャップは、2016年12月13日のW杯2017アジア・オセアニア予選のフィジー戦。津久井は、代表デビューから、アイルランド戦までの女子日本代表58試合の内、50試合に出場していることになる。この事実には驚きを隠せない。

153センチ、54キロ。

数字だけを見れば、世界の女子ラグビーという大きな舞台で戦うには、あまりにも小さい。ましてSHは、巨漢のFWが激しく衝突する密集地帯のすぐ隣でボールを操り、ときには自らタックルに飛び込まなければならないポジションである。

それでも、津久井は10年間、日本代表の9番を背負い続けてきた。

津久井の物語は、あまりにも早く始まった。

2016年、16歳の高校2年生で日本代表デビュー。翌2017年のW杯では、17歳という若さで全試合に先発し、日本人選手として初めて大会のベストフィフティーンに選出された。

当時、女子ラグビーにほとんど興味が無かった自分が、最初に覚えた女子選手が、津久井と引退されたCTB黒木理帆さんだった。W杯のオーストラリア戦の後半、津久井が低いタックルでデカイ相手を倒し、そのままボールを奪って、走り込んできた黒木さんに倒れながらパスを出し、黒木さんがそのままトライしたシーンは、今でも脳裏に鮮明に焼き付いている。

小さな身体で、世界の強豪を相手に高速アタックの起点となり、地面すれすれのタックルを繰り返した。その姿は、まさに「小さな巨人」という言葉そのものだった。

しかし、津久井の凄さは、単純な「速さ」だけではない。

彼女の最大の武器は、ボールを受けてから放すまでの一連の動作にある。ラックからボールを取り出し、コンパクトなフォームから鋭いパスを送り出す。腕の力だけに頼らず、身体全体を使ってボールに力を伝えることで、エネルギーを無駄にせず、しかも受け手に届くまでの時間を短くする。

一見すれば、ほんの一瞬の動作である。しかし、その「一瞬」が、ラグビーでは大きな差になる。0.5秒早くボールが動けば、ディフェンスラインには一人分の遅れが生じる。津久井は、そのわずかな時間を積み重ねることで、日本のアタックにテンポを与えてきた。2017年当時から評価された高速の球さばきは、いまも彼女の根幹にある。

しかも、津久井はそこで止まらなかった。

キャリアの初期には、「自分が速くボールを出すこと」が最大の仕事だった。しかし経験を重ねるにつれ、ゲーム全体を見るようになった。自分がどこへパスするのかだけではない。味方がどこにいるのか、相手の防御がどこで崩れかけているのか、次に何を起こすべきなのか。2025年には、「以前は自分のプレーに集中し過ぎていたが、現在は客観的に周りを見られるようになった」と語っている。これは、10年間にわたって国際舞台に立ち続けた選手だからこそ得られる変化だろう。

そして興味深いのは、彼女が「速さ」だけのSHではなくなったことだ。

2024年、フィジー戦で代表31キャップ目にして初トライを記録した。これまで「いかに早く仲間にパスを出し、スペースへボールを運ぶか」を最優先していた津久井が、自らラック脇を突き、仕掛ける選択肢を持つようになったのである。これは小さな変化に見えて、実は大きな意味を持つ。相手に「津久井はパスをする」と読まれれば、9番へのプレッシャーを強めることができる。しかし、そこで本人が一歩前へ出れば、防御側の判断を狂わせることができる。

小さいからこそ、工夫する。
小さいからこそ、速く動く。
そして、小さいからこそ、誰よりも早く状況を読む。

もちろん、世界のトップレベルと戦ううえで、体格差は消えない。むしろ女子ラグビーのフィジカルが年々向上する現在、その差は以前より大きな問題になる可能性もある。それでも彼女は、フィジカルトレーニングを重ね、国際舞台でも負けない身体を作り上げてきた。17歳の少女だった津久井は、いまや若いサクラフィフティーンを支える経験豊富なリーダーである。

50キャップという数字は、その象徴だろう。10年前、17歳だった少女が、世界の舞台を知り、W杯を3大会経験し、そしていまは自らキャプテンマークを巻いている。しかもまだ26歳。「ベテラン」と呼ぶには若すぎる年齢である。

津久井に期待したいのは、その先だ。

新生サクラフィフティーンには、若い選手が増えている。そんなチームにとって、津久井の存在は単なる「経験者」ではない。ピッチ上でゲームの速度を決め、仲間に声をかけ、苦しい時間帯に冷静さを取り戻させる。10年間、世界の舞台で戦い続けてきた経験そのものが、チームにとって大きな財産なのである。

世界の強豪と戦うとき、日本がフィジカルだけで相手を上回ることは容易ではない。だからこそ、判断、技術、そしてテンポで勝負する。その中心にいるのが津久井だ。153センチの身体に、50キャップの経験を詰め込んで、今日も9番の位置に立つ。大きな身体がひしめく世界の中で、誰よりも低く、誰よりも速く、そして誰よりも早く状況を読む。小さな身体から放たれる一つのパスが攻撃を動かし、一つのタックルが仲間を奮い立たせる。

50キャップは、これまでの歩みを証明する数字にすぎない。
51キャップの先へ。そして、その先にある日本女子ラグビーの新しい時代へ。

津久井は、もう「小さいSH」ではない。小さい身体で世界と戦い続けたからこそ、大きな存在になったSHである。

「小さな巨人」の物語は、まだ終わらない。