北川 俊澄さんの想い出
2026年8月26日
1990年12月。父親に連れられ、初めて国立競技場で観た早明戦で、後に「白い龍の伝説」と呼ばれる今泉さんの同点トライを観たのが、私がラグビーの虜になったきっかけです。
その後も早稲田ラグビーを応援し続けました。そして2001年度に清宮さんが早稲田の監督に就任してからの5年間、思えばあの時代が、私が一番ラグビーに熱中していた時期でした。毎試合前に上井草の練習場まで出向き、夕陽が沈む中、選手たちが泥だらけになってるのを陰から見て、ひとりで涙ぐんだりしてました(笑)。
清宮ワセダの初年度、大学選手権決勝の相手は、前年度に明治の3連覇を阻止し初優勝を果たした、春口廣さん率いる関東学院。そこに文字通り立ちはだかったのが、2年生の北川俊澄さんでした。当時の関東学院は、BK陣が次々とボールを動かす華麗な展開ラグビーが持ち味でした。しかし、その攻撃を始めるには「確実なボール獲得」が不可欠です。北川さんは、当時から195cm/110kgという圧倒的な体躯を誇り、セットプレー、特にラインアウトの局面で圧倒的な強さを発揮しました。早稲田のLO左京主将や高森選手とは10cm以上の身長差があり、北川さんは、早稲田の頭上をはるかに超える「驚異的な高さのラインアウト」を連発しました。早稲田がどれだけ緻密なディフェンス戦術を用意してきても、その遥か上空からボールをむしり取る北川さんの姿は圧倒的で、絶望感を感じたのをよく覚えています。結果、33 - 21 で、関東学院は2連覇を果たしました。
こうして、私の頭の中には「にっくき北川俊澄」の名前がくっきり刻まれました(笑)。
その後、北川さんはトヨタに進み、日本代表にも何度も選ばれました。2011W杯には全試合先発出場しました。最終的にキャップ数は43。これはLOとしては、大野さんとトモさんに続く記録です。勿論その頃には、純粋に北川さんを応援するようになっていました。
時は流れ、2021年のトップリーグプレーオフトーナメントの2回戦。現役引退を表明していた北川さんが後半から出場しました。ホーンが鳴ったラストワンプレー。日野のラインアウトで北川さんがクリーンキャッチ、そのままモールを押し込んでトライ。そして、最後のコンバージョンキックは北川さん。人生初のプレースキックだったらしいですが、ものの見事に、蹴った瞬間から外れたと分かるキックでした(笑)。ただ北川さんの清々しい笑顔が印象的でした。
さらに2023年12月。相当以前から自分をフォローしてくれていた、YOKOHAMA TKM のPR藤殊華選手が、肩・膝・足首の8回の手術を経て、OTOWAカップに出場しました。生の藤選手のプレー観たさに、千葉の印西まで2時間以上かけて行きました。両足にテーピングを巻いた藤選手の不撓不屈の精神力やプレーに大きな感銘を受け、いっぺんに大ファンになりました。当時改めて調べたところ、TKM は、あの関東学院の春口廣先生が総監督(現在は名誉顧問)で、北川さんが総監督補佐を務めていることに驚きました。そこから TKM を真剣に応援するようになりました。昨年度、TKM は北川さん直伝のラインアウトとラインアウトモールを武器に、創部史上初めての日本一に輝きました。厚かましくもお祝いの DM をした際に、北川さんはご丁寧にご返信くださいました。それどころか「いつもXを拝見させて頂いております。これからもラグビー界の発展のために発信よろしくお願いします。ちなみにレニーさんのXをみて妻も一眼レフを検討中です(笑)」とのお言葉まで頂きました。その後も何度かやり取りさせて頂いています。
そして昨日、以前から女子日本代表のHC代行として指導していた北川さんが、正式にHCに就任することが発表されました。さらに、何度も TKM にスクラムを教えに来てくれていた、早稲田時代に北川さんと戦った青木佑輔さんの代表FWコーチ就任も発表されました。
当時は憎かった北川さん、北川さんとしのぎを削った青木さん、敬愛する清宮さんが師と仰ぐ春口さん、そして今、日本代表で活躍している藤選手。今の女子日本代表に、色んな縁や繋がりを勝手に感じています。
北川HCには、サクラフィフティーンのセットプレーの更なる充実と、長年の課題であるBK陣の得点力不足の解消をお願いします(と、先程も図々しくも DM してしまいました(笑))。
まずは9月4日のフィジー戦、北川ジャパンの初陣を飾って欲しいです。
