「府中12内」とアタックコーチ
2026年7月14日
あの試合は2015年9月19日、イングランド南東部の街ブライトンのファルマー・スタジアムで行われた。当時、南アフリカが世界ランキング3位だったのに対し、日本は13位。イギリスの大手ブックメーカーのオッズは「日本34 対 南ア1」。これは南アに1£賭けて、予想通り勝ったとしても1£しか戻ってこない、つまり賭けが成立しないことを意味する。
試合は69分、日本は 22 - 29 と7点ビハインド。敵陣22m付近のラインアウトという絶好のチャンス。SOの小野晃征が「府中12内」とコールする。日本語を理解し、正確に解説できる選手は相手側にはいない。
ラインアウトは7人。南ア相手には7人が一番トライを取りやすいことは分析済みだ。
・HO堀江翔太がスローイン。
・LOトンプソン・ルークがこれをキャッチしSH日和佐篤へ。
・日和佐からCTB立川理道に長いパスを通す。
・立川がディフェンスを引き付ける。
・CTBマレ・サウがデコイ(囮)になる。
・立川はサウの裏にいたSO小野にパス。
・さらに小野がインサイドのWTB松島幸太朗に内返し。
・松島からFB五郎丸歩にラストパス。
これが「府中12内」と呼ばれるサインプレーだ。ちなみに「府中」は練習で使っていたコールネーム、「12」はプレー番号、「内」「外」は攻撃するコースの違いを示していたと言われている。
そして五郎丸がコンバージョンを沈め 29 - 29 と同点とし、ラストの”ブライトンの奇跡”へと繋がる。
後に、この乾坤一擲のサインプレーをデザインした沢木敬介さんは、述懐する。
「南アフリカの試合を分析した結果、ディフェンスのコネクションが切れることが分かりました。具体的に言うと10番のパット・ランビーと12番のジャン・デビリアスの連携が崩れるんです。そこを突こうと。
そのためには立川が相手のスタンドオフにずっとプレッシャーを掛け続けなければならなかった。これにより消耗し、足が止まったランビーは後半17分に交代しました。デビリアスは守備範囲の広い選手なので遅れながらも小野についていこうとする。必然的にインサイドが空くんです。こちらは外側からセンターのマレ・サウが立川についていっており、小野はその裏を走っている。
つまり相手からすればブラインドになる。そこへインサイドから松島が入ってくる。全てイメージ通りのプレーでした」
現在、日本代表にはアタックコーチが不在だ。アタックコーチ不在が唯一の原因ではないが、現在の日本代表のバックスアタックが構造的になりきれていない要因の一つである可能性は十分考えられる。
一般的に「アタックコーチ=派手なサインプレーを考える人」というイメージを持ちがちだが、勿論、アタックコーチの仕事は、実際にはもっと広い役割がある。
例えば、
・どこに人数的優位を作るか
・どうすればディフェンスを一歩止められるか
・どの選手を囮にするか
・フォワードとバックスをどう連動させるか
・セットプレーから何種類の選択肢を持つか
こうした攻撃全体の「設計図」を描くのがアタックコーチだ。
南アとトニー・ブラウンさんの例は、非常に示唆的だ。ブラウンさんがアタックコーチに加わった南アは、従来の
・スクラム
・モール
・キック
・フィジカル
だけではなく、近年は
・FWDがファーストレシーバーに立つ
・ショートパスを多用する
・ポッドを複数重ねる
・外へ振ると見せて内へ返す
・バックスリーを立体的に走らせる
など、攻撃のバリエーションが明らかに増えた。前HCジャック・ニーナバーさんや現HCラシー・エラスムスさんが築いた土台があってこそだが、ブラウンさんの加入によって「世界一のFWD」に「世界トップクラスの攻撃設計」が加わり、現在の無双状態がある印象だ。
エディーさんは今季、「共に超速」というビジョンを掲げているが、そのビジョンを日々のトレーニングで具体的な攻撃パターンへと磨き上げる専門家が不在、あるいは十分に機能していないのであれば、選手たちは個々の判断に頼る場面が増え、自ずと攻撃の再現性は下がる。
勿論、「アタックコーチが来れば全て解決」ではない。あの「府中12内」に匹敵するサインプレーを直ぐに観れるとも思っていない。ただ、到底機能しているようには見えない現在の日本代表のアタックが、多少でも改善されることを期待しても罰は当たらないだろう。
実際、6月7日にはサントリーのHCを退任した小野晃征さんが日本代表のアタック担当コーチに就任することが、複数のメディアで報じられている。にも関わらず、いまだに発表されないのには、よほどの事情があるのだろうか。
発表がいつになるかは分からない。
実際、だれになるかも分からない。
それでもテストマッチは続いていく。